救護中隊
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空軍救護隊は、1954年7月1日に嘉義基地にて創設されている。その任務は、単なる救護だけではなく幅広いもので、台北地区飛行情報区域の捜索救難、被災地の人員輸送、沿岸部の巡回飛行、偵察撮影業務、潜水艦の目視による監視業務、輸送業務、演習における将官の視察援護業務などである。しかし、部隊のモットーは「救人第一」であり人命救護を最大の目的として全天候下での厳しい訓練を積んでいる。
Wings
ステッカーは、S-70Aとなっているが台湾での正式型式はS-70C-1Aと言う。
彼らの活躍ぶりは、1993年の記録からもその一端が読み取れる。
1993年1月26日 高雄船籍の漁船が浸水により沈没の危険がありとの情報で出動 3名を救出。
1993年1月28日 パナマ船籍の輸送船が台東の東南で沈没 船員5名を救助
1993年3月28日 海岸から離れた小島でキャンプを張っていた26名が 悪天候で動けなくなり 食糧・衣服などの投下を行う。
1993年6月2日 連日の豪雨により孤立した工業団地の住民3名を救出
1993年の半年間だけで これだけの活動が記録されており この部隊の多忙さが判る。
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新竹空軍基地でデモフライトするS-70C-1、後年追加購入したS-70C-6の懸架翼と異なり、初期購入のものは機体上部から一旦中翼の位置まで下げた形をした物であった。後にC-6を購入した際高翼タイプに変更したのは何故なのか不明。
CCK-FOXが松山の空軍基地で撮影した2機のS-70C-1であるが 手前の編号7002号機は、1995年11月15日の濃霧の中で台湾台北縣の山中に墜落し3名の乗員が亡くなっている。この時のS-70C-1の飛行目的は 訓練や捜索では無く 李登輝総統の総統選挙における移動の際に先導機として誘導任務に就いていたらしい。